「旅の始まり」

 2023年の冬、小樽へ旅に出た。コロナ禍で長らく旅を自粛していたが、ようやく安心して旅ができるようになったこの年の終わりに、私は一年の締めくくりとして北海道を訪れることにした。旅は私にとってただの趣味ではなく、生きがいそのもの。今回は、歴史ある「料亭湯宿 銀鱗荘」に宿泊し、贅沢な時間を過ごすことにした。

小樽駅に降り立つと、雪が静かに降り積もっていた。空気は凛と冷たく、吐く息が白く染まる。観光客の姿はまばらで、冬の小樽はしっとりと落ち着いた雰囲気に包まれている。石畳の道を歩きながら、小樽運河沿いのガス灯が雪に映える幻想的な光景にしばし見惚れた。

銀鱗荘へと向かう車の窓からは、日本海の荒波が見える。冬の海はどこか寂しげでありながら、力強い美しさを持っていた。宿に到着すると、歴史を感じさせる趣ある建物が出迎えてくれた。館内へ足を踏み入れると、木の温もりと品のある和の空間が広がり、心がほっと和らぐ。

「銀鱗荘の贅沢な空間」

今回宿泊する部屋は、日本海を一望できる贅沢な造り。雪がちらつく中、静かに広がる海を眺めながら、しばし旅の疲れを癒す。部屋には檜風呂が備え付けられており、湯気の向こうに広がる景色がまるで絵画のようだった。

部屋に案内されたとき、まず目に入ったのは、ウェルカムスイーツとして用意された一房のマスカット。瑞々しい輝きを放つその果実を一粒口に含むと、弾けるような甘さと爽やかな酸味が広がり、一瞬で旅の疲れが吹き飛んだ。冬の小樽で味わうこの贅沢な味わいに、思わず笑みがこぼれる。

館内には広々とした大浴場もあり、中庭を望む内湯と、ヒバの香り漂う露天風呂が楽しめる。湯に浸かると、体の芯からじんわりと温まり、冷えた体が解きほぐされるようだった。露天風呂では、湯けむりの向こうに雪景色が広がり、静けさの中でただ湯の音だけが響く。この上ない贅沢な時間だった。

「料亭で味わう冬の味覚」

 銀鱗荘の楽しみの一つは、何といってもその食事。料亭湯宿と名乗るだけあって、そのクオリティは別格だった。料理長が厳選した北海道の食材を惜しみなく使い、一品一品に研ぎ澄まされた技とこだわりが感じられる。今回は、北海道の冬の味覚を堪能する贅沢なコースをいただいた。

先付けは、毛蟹の酢の物。繊細な甘みと旨味が凝縮され、ひと口ごとに幸せが広がる。続いて供されたのは、帆立の炙りと北寄貝の刺身。口に入れると、舌の上でとろけるような柔らかさと共に、濃厚な甘みがじわりと広がる。帆立の香ばしい炙りの風味が鼻を抜け、北寄貝は驚くほどの弾力と甘みを持ち、噛むごとに磯の香りがふわりと広がる。北海道の海の恵みが、この上なく贅沢に味わえるひと皿だった。

北海道の海の恵みをさらに堪能すべく、焼き魚も用意されていた。備長炭でじっくり炙られた鰆は、皮はパリッと香ばしく、身はしっとりとした食感で、噛むほどに旨味があふれ出す。帆立と紋甲イカの盛り合わせも絶品で、炭火の香りと海の風味が口いっぱいに広がった。

そして、この旅のハイライトとも言えるメイン料理——特製のすき焼き。道産牛の見事な霜降り肉を、割下にさっとくぐらせ、卵に絡めて口に運ぶ。口の中でとろけるような柔らかさと濃厚な旨味に、思わず目を閉じてしまうほどの美味しさだった。野菜や豆腐もすき焼きの味をしっかり吸い込み、一つ一つが絶品。締めには、出汁の効いた雑炊が供され、最後の一滴まで味わい尽くした。

「旅の終わりに」

夜、部屋の窓から見える雪景色を眺めながら、この旅を振り返った。白銀の世界が静かに広がり、時折、舞い落ちる雪片が窓にそっと触れる。コロナ禍で長く閉ざされていた旅の扉が、ようやく開かれたことへの喜びと安堵が、胸の奥でじんわりと広がっていく。

マスクを外し、澄んだ冬の空気を深く吸い込む。これほどまでに自由に旅ができることが、かつてどれほど当たり前のものだっただろう。湯宿で味わった極上の料理、体の芯まで温めてくれた温泉、そして何より、旅の醍醐味を存分に味わえたことへの感謝。この何気ない一つ一つの瞬間が、かつては夢のように遠いものだった。だからこそ今、この時間がかけがえのないものに思える。雪景色の静寂に包まれながら、私は深い眠りへと落ちていった。

「朝の静寂と真のサービス」

朝食もまた、銀鱗荘ならではの心尽くしの味わいだった。小鉢に盛られた新鮮な刺身、風味豊かな焼き魚、炊きたてのご飯と味噌汁。それぞれが丁寧に作られ、素材の良さが際立つ。食事を進めるうちに、何気ない宿の心遣いが心に沁みた。食べ終わった席はすぐに片付けられ、さりげなく供される食後のコーヒー。こちらの仕草を察し、言葉にしなくとも心を読んでくれる。そんな瞬間が何度もあり、改めて「真のサービス」とは何かを考えさせられた。

「夜明けのチェックアウト」

旅はやはり素晴らしい。どんな時代でも、人は旅を求めるのだろう。銀鱗荘で過ごしたひとときは、一年の終わりにふさわしい贅沢な時間だった。名残惜しさと共に、また次の旅への想いが芽生える。まだ見ぬ景色、新たな出会い、そして心を震わせる瞬間が、これからも私を旅へと駆り立てるに違いない。